普通

さいきん勉強が滞っている。本当はこんなことしてる場合じゃないんだろうけど…

"普通"についてつらつらと書いてみた


ある本を読んで、普通を目指そう、って思った。

思ったところで、「普通」を「目指す」という語感に奇妙さを覚えた。

皆の言う「普通」が実は「理想」に近い、なんていうのはよく言われることで*1、そういう意味では「目指す」っていうのも間違ってないんだろうけど、本当の普通を「目指す」ためには何かを捨てなくちゃいけないんだと思う。

インターネットの普及がもたらしたのは、理想の姿っていうのは思ったよりも近くにありますよってことではなくて、そのような理想にたどり着くのは相当むずかしいっていう確認だった。雑多な普通の現実もたしかにそこには転がっているのだけれど、あまりにも理想に接するのが簡単すぎて、それが「普通」に近い何かであると錯覚しているのだ。そんな状況に拍車をかけているのがSNSだったりするわけで、現実のいいところだけを切り取って作られた「普通」を見るにつけ、いよいよ焦りだしてしまう。
そして人間というのは恐ろしいもので、都合のいいものしか見ようとしないから、「普通」はますます普通から遠ざかっていく。

SNSをやめたことで、今までで最も意義深い1か月が訪れた、だなんて記事*2が上がっていたけれど、SNSをやめてみるのは実際とてもいいことかもしれない。いま見えるようになったそれは、きっと本当は別になくてもいいものなんだ。SNSをやめることで生まれた時間を友人と濃い時間を過ごすために使うなんてぼくにはできそうにないけれど(性格的な問題で)、代わりに物事について一人で考えてみようと思う。またこれについてはいつか語れたらいいなと思う。最近はよく「当たり前のことが当たり前に行われていること」について考えたりする。

しかし、やめるとか見ないとか言いつつも悩んでしまうのは多少なりとも向上心のようなものが残っているからなわけで、けっきょくはどこかで「普通」と向き合うことになるのだろうけど、大事なのはカテゴリーをちゃんと明確にすることだと思う。

そもそも「普通」なんて漠然とした言葉を考え出すとワケわからなくなるのは当然で、普通ってなんだよ?ってなるに決まっている。普通というのがほとんどの人(がもっているもの、やっていることetc…)だとすると、意外とそうでない人が大半(=普通)だったりするので、それらの共通部分なんて存在しなくなってしまったりする。だから、やっぱり限定とか制限っていうのは大事で、いい案配で(この案配がまた難しい…)どの分野における普通を目指すのか考えると比較的うまくいくように思う。まあそのカテゴリーが人によって異なることが、普通が理想に近くなってしまう原因の一つなのかもしれないけど…。とりあえず、安易に他人の普通と比べるのは危険だ。

ここまで書いてきて落としどころに困っている。

でも、少なくとも言えるのは、困っているところにさらに困る要因となるものを注ぎ込むのはやめた方がいいんじゃないかってことだ。なんかとても頭悪そうな結論だけど…。

もちろんSNSで得られるメリットがたくさんあるのも知っている。じゃなきゃこんなにたくさんの人はやってないだろう。それでも、やっぱりやってない人のほうがまだまだ多いんだ。*3

まあ全部やめてしまうと暇だから(ひょっとしたらそうでもないのかもしれない)、とりあえずは今までSNSでのコミュニケーションに費やしていた時間を思考をまとめるための時間に充てようと思う。

そんなのチラシの裏に書いておけよっていう話だけど、やっぱり誰かに見せたくなってしまうのは"普通"だからなのだろうか。

もともと特別なオンリーワン、だなんて毛頭思わないけど、普通でいいんだよ、普通で。

*1: いつも思い出すのはPerfumeDream Fighter

*2: 「Twitpic」のCTOが30日間ソーシャルメディアをやめてみたら人生変わった話 : ライフハッカー[日本版]

*3: 2012年9月時点で日本におけるfacebook利用者数は約1400万人だそうだ。