数学を学ぶ理由

さいきんこんな記事を読んだ。

100の職業でどんな数学を使うのか1枚の表にまとめてみた 読書猿Classic: between / beyond readers
 前回の記事で「誰が、どんな数学を、どのように使っているか」の表がクリックしても大きくならない、見えない、見たい、なんとかしろ、という話があったので、それを。  Hal Saundersの書物Whe ...


そこで紹介されていたのがこの図↓

「数学なんて何の役に立つの?」という問いに対して、どんな答えを返すべきなのだろうか。この図のように、実例を挙げて説明するのも一つの手だろう。

ただ、リンク先でも述べられているけれど、一方で、自分の将来と照らし合わせて、じゃあこの分野の知識は必要ない、と言い切ってしまうこともできる。

そこで、「数学がどうして必要なのか」について自分なりに考えてみた。


結論として思ったのは、「数学は正しさを測るための参考基準になる」ということだ。

詳しいことは知らないけれど、紀元前とかそれくらい昔から数学は存在していて、今までに見つかった数々の定理や法則は(少なくとも教科書に載るようなレベルでは)これから先も変わることのない"正しさ"を担保している事実でありつづけるだろう。

それを身に付けることは、他のこと(言ってみれば日常のどんなことでも)の正しさを確かめるうえでかなり重要な役割を果たしているように思う。そしてそれを知っている人たちからしてみれば共通の価値観となる(だからこそ教えること足りうるのかもしれない)。

数学は「常識的に考えて」を形成する一部分なのだ。

「1+1=2」から始まって微分積分の難しい定理までたくさんのことを学んできたけれど、そこで覚えた正しさや考え方というのは、新しく(複雑で高度な)物事に対峙するにあたって知らず知らずのうちに役立っている。

大学レベルの教科書になると、間違っていること(不明なこと)が書かれていることが本当によくある。そのとき、ひょっとしたらこれはおかしいんじゃないか、と思えるのは大事なことだと思う。また単純に、ちょっと難しい事柄を理解するときも、むかし覚えたこと・方法は必ず参考にしているはずだ。

うまく言葉にできないけど「感覚的に」今やっていることが正しいかどうかっていうのは高校レベルの数学でも解いているときに感じることがある。そこでの照らし合わせの作業の経験というのは、次のステージ(大学や社会人)で何か判断する場面が来たときにきっと役立つ。というか活かさなければ意味がない(こういったことは、家庭教師として高校生に物事を教える立場になってよく思うようになった)。

もちろん数学だけがすべてではなくて、部活も恋愛もなんだってやっていいんだけど、ただ周りを見て聞いて感じることだけじゃなくて、いわばそれはそのときは役に立ったり大事かもしれないんだけど、それ以外にも、例えば数学といった不変の事実(と思い込むのも本当はよくないんだろう)を学ぶのもいいんじゃないかと思う。

問題はどこまでのレベルのことを学ぶ必要があるのかということだけどこれはまた別の話なのでここでは割愛。


リンク先にあるような、試験で通るために必要だからというのは後付けであって(まあそれでも確かに幸か不幸か人の理解力を測るには結構いい指標になってるとは思うけど)、それを数学に押し付けるのは少し悲しい。かといって、いまこうやって文字を打っているパソコンにも色んな数学が応用されているんだよと言われてもイマイチ実感が沸かない。ということで今回ほかの理由を探してみたのでした。*1

*1: 加えて言うなら、高校レベルの数学がしっかりできるだけでお金になるよ(家庭教師・塾講師)という現実的な話もある。自分のためにもなってお金にもなる(それも比較的安定して)なんて学ぶに越したことはないと思うけどなあ…。